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渡島蔬菜農業協同組合
〒040-0063
北海道函館市若松町9番22号
TEL.0138-23-5185
FAX.0138-23-5187
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渡島蔬菜の歴史

渡島ドームから函館朝市ひろばへ

渡島ドーム
before
朝市ひろば
after

元祖朝市から函館朝市ひろばへの歴史

■昭和20年(1945)
終戦直後の食糧難時代、交通の要所であった函館駅や青函連絡船の桟橋周辺は、換金の必要に迫られた近郊農家が野菜を列車で運び、函館駅前広場の隅などで立売りを始めました。当時は組織化された配給ルートもなく、闇市の一部とみなされていました。
 
■昭和21年(1946)
函館近郊の七飯町や大野町、上磯町の農家が一般列車で野菜を背負い、青森からは連絡船で米が持ち込まれて函館駅周辺で闇販売していました。しかし包装用の新聞紙の乱雑問題が起こり、露店取引き追放運動に発展。そのため、亀田町のガス会社の空地や高砂町の旧憲兵隊司令部の跡地(旧函館市交通局バスセンター前)で、野菜を露店で立売りスタイルで販売。しかし、立売りでの露店形態は、不衛生・交通障害などの見地から常に立退きを余儀なくされていました。
 
■昭和24年(1949)
統制経済が解かれ、生産者による直接販売が市民生活に浸透してきました。函館・亀田・上磯・七飯・大野の5農業協同組合が、渡島農業協同組合連合会を設立し、鮮度の良い青果が並ぶ生産者による直販部門を函館意s内に開設することを模索しました。
 
■昭和25年7月(1950)
国鉄が旅客列車に連結した野菜列車(行商列車)を再開。近隣農家が行商人として大量の野菜を函館市内に持ち込んだため、渡島農業協同組合連合会が肝入りとなり、若松町35の鉄道荷さばき所前の疎開地跡に朝市を開きました。
 
■昭和25年8月(1950)
野菜市場となった鉄道荷さばき所前は、狭すぎたため渡島農業協同組合連合会は市役所横の郵政省空地1000坪(現NTT東日本・日本銀行敷地)を借り、生産者と消費者が自然発生的に売買を行う野店が形成され、青空市場を開設しました。
 
■昭和20年代後半
朝早く列車を使い森町、砂原・鹿部方面からガンガン部隊と称される鮮魚行商人たちが集まり市場は拡大、平日でも一万人以上の市民が殺到、混乱に陥りました。このため、渡島農業協同組合連合会の諮問機関として、運営委員会が設置され、青空市場の管理運営にあたり環境も整備されました。
 
■昭和29年9月(1954)
青空市場は年中無休で新鮮で安い野菜が魅力で、大規模市場に発展。
大野や七飯、上磯からも一日平均6~700人の生産者が行商人として押し寄せ、塩乾魚や菓子、衣料品まで雑多な露店も出店し、多彩な商売を行っていましたが野外のため衛生上の問題などもありました。
 
■昭和31年春(1956)
旧電信電話公社社屋の新設のため、空地返還の申入れがあり、再び約400名の場内で販売していた店舗は市場存続のため、他に用地取得の協議が函館市議会でなされ話槓子帳に集団移動が決議されました。
 
■昭和31年9月21日(1956)
若松町(現在地)の埋立地横の函館市誘致1977㎡(600坪)を渡島蔬菜農業協同組と函館朝市協和会商業組合が買収し、9月から朝市が再開されました。農家が生産者所有の市場を持つことで、従来の渡島農業協同組合連合会を渡島蔬菜農業協同組合に改組し、新たに朝市連合会が分岐誕生しました。
 
■昭和34年(1959)
朝市敷地内に「朝日会、塩干部会、暁会」に所属する70件の業者が、9月鉄骨上屋を完成させ入居しました。
 
■昭和35年(1960)
朝市周辺はマーケットや飲食店、倉庫が雑然と並び、景観や治安の面から函館市は2ヶ年計画で整備を行いました。それにより大通りが完成し、現在の朝市ゾーン(3ha、400点)が整備、安くて新鮮な食材を求める市民の台所として賑わいました。
 
■昭和37年(1962)
渡島蔬菜農業協同組合は鉄骨造りのドーム型施設を建設しました。農家組合員2600人は生産者による直売か、セリによる出荷を始めました。
(渡島ドーム:土地2,254㎡、うち協和会2,112㎡貸与、構造物129,675㎡、事務所106.2㎡、外に倉庫212.9㎡を建設した)
 
■昭和41年(1966)
住宅街が郊外にひろがり大型量販店が出店するなど、社会環境の変動や消費者の意識の変化に対応するため、出店者は振興対策活動を目的とした朝市連合会を設立しました。
 
■昭和50年(1975)
錦強に中央卸売市場が開場し、函館朝市は線線食料品の流通拠点の地位が失われました。小売専門店の市場として、駐車場の確保や業態近代化が課題となり、まず就業時間を午前11時30分から午後1時30分まで延長し、買い物客の利便性を高めお客様の増加をはかりました。
 
■昭和52年(1977)
カニやメロンなど土産物を扱う観光拠点として、朝市活性化の観点からお金をかけずに出来る規制緩和策として、仲通100mを8月から車を締め出し歩行者優先の「買い物天国」に変更、観光客がそぞろ歩きが楽しめる通路に生まれ変わりました。
 
■昭和56年(1981)
駅二商業協同組合が共同店舗を6月新築し、45業者が入居して地方発送用の配送センターも開設するなどサービスを向上したが、市民の足をつなぎとめることは出来なかった。その一方で観光局の入り込みが増加し、朝市全体の年間総売り上げの2割は25万人の観光客によるものでした。
 
■昭和62年(1987)
朝市連合会は法人組合(6法人)により、強力な組織構築、市場内結集の必要性から、函館朝市協同組合連合会が設立されました。
 
■昭和63年(1988)
青函連絡船廃止の危機を乗り越え観光スポットとしての人気は一層高まり、カニやメロンを並べた観光市場としての価値が見直されました。
 
■平成3年(1991)
朝市シンボルマークを公募し、朝市協同組合連合会のマークを定め、平成4年には連合会加盟店の朝市ガイドマップが初めて作成されました。
 
■平成7年(1995)
函館朝市協同組合連合会は加盟店舗の函館朝市のの信用と営業秩序を保つため遵守事項を定めた推奨店制度が制定され、平成11年には推奨店規約を全面改訂し、7月より施行しました。
 
■平成16年(2004)
函館朝市協同組合連合会に青年部が発足し、観光客集客を目的に函館朝市~湯の川温泉館を結ぶ無料シャトルバスの運行を開始しました。
 
■平成17年(2005)
函館朝市協同組合連合会は加盟店以外の店舗との差別化を図るため、キャラクター「あさいっちゃん」と「函館朝市」ロゴマークを作成し、ロゴは商標登録して平成18年に認可されました。さらに7月より国の助成金を活用し「中小企業人材確保推進事業」を平成19年度までの3ヶ年で実施しました。
 
■平成20年(2008)
中小企業人材確保推進事業に係るビジョン推進を行いました。1人が100歩進むより、100人が1歩進むよう、有名な朝市から一流の朝市屁を合言葉にポスターなどで啓蒙活動をおこないました。
 
■平成23年(2011)
3.11東日本大震災により朝市全店が被災するも、4月1日には営業を再開しました。
「第16回全国朝市サミット2011 in 函館」の開催や東日本大震災復興応援事業として「気仙沼朝市」応援イベントなどを実施しました。
 
■平成25年(2013)
渡島蔬菜農業協同組合・函館朝市協同組合連合会・函館朝市協和会商業組合出資による「株式会社函館朝市まちづくりの会」を創業し、経済産業省補助事業として「渡島ドーム」の建て替え工事が11月から行われました。
 
■平成26年(2014)
2014年4月12日、新店舗「函館朝市ひろば」がオープン
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